板鼻本陣跡(皇女和宮御宿泊所)

板鼻宿の本陣跡は、現在の板鼻公民館近くにあります。この本陣の書院に孝明天皇の皇妹和宮(かずのみや)親子内親王が、仮の宿として宿泊されたそうです。

板鼻本陣跡(皇女和宮御宿泊所)の内部画像

施設のご案内

所在地 安中市板鼻一丁目6番20号
開館日等 下記にお問合せください
問い合わせ 板鼻公民館  027-382-4967

和宮御仮泊所および板鼻本陣

板鼻宿の本陣は、板鼻公民館のあたりにあり、重代本陣の木島家である。家柄については、東京に転出した同家の古文書が亡失されてしまったので、はっきりしないが木島家歳暦過去帳、解忠の墓側に刻まれた祖塔記などから推考すると、先祖は奥州平泉の豪族藤原秀衡の末裔と伝えられ、尚板鼻への土着は慶長の頃であると推定されるのである。

敷地 間口15間半  奥行30間  地坪465坪
書院 本家の西側に接続する。
梁間5間半 桁行9間半 建坪52坪2分5厘

の平屋建、表門、玄関式台付の立派な建物である。本家の建物は大同2年の建物で、古い入妻式のものであったと言い伝えられている。
文久元年、幕末の勤王佐幕の対立のはげしい時、公(皇室)武(幕府)合体の穏健派は孝明天皇の皇妹和宮(かずのみや)親子内親王を、14代将軍徳川家茂の簾中としてご降下を秦請したのであるが、宮は「・・・此の儀恐れ入れども幾重にもお断り申したく・・・」と心ならずも本陣書院に入り仮の宿をとらせられることとなった。
全道中警護の藩12、途中宿次ぎの藩29、伝馬の人夫約3万という前代未聞の大行列であった。

途中各宿駅は

(一) 三日間は、上下旅人の通行止め。
(二) 二階雨戸を締め切り目貼りのこと。
(三) 表には水を満たし天水桶を置くこと。
(四) 表屋根に留石板を添えること。
(五) 当日はたき火無用のこと。
(六) 表障子を明け払い奥まで見透かしにすること。
(七) 掛看板、わらじの類ははずしおくこと。
(八) 当日水車其他鳴物差止のこと。
(九) 身元不審人等置かぬこと。

高貴の姫君の御降下はこの時に始まったものではなく、そのほとんどが中山道であった。しかし、この時に限っての厳重な警固は、時の人心の動揺が他に比すべきものがなかったからである。
御寝(ぎょしん)なされたお室の床板の厚さはおよそ3センチメートルで、この床下に伊賀者といわれた警護が隠れて警護したと言われる。お年16歳の皇女は翌年(1862年文久2年)2月御婚儀、同3年家茂は上洛、勤王佐幕・攘夷開港の喧々囂々の中に新婚の生活も5年、21歳にして寡婦となられたのである。かくて其後10年にしてご他界された。まことに佳人薄命というべきであろう。